「3.11」とともに…。

 2014年(平成26年)3月11日。東日本大震災から3年が経ちました。死者・行方不明者は1万8000人以上。テレビ・新聞・雑誌等のメディアでは、たくさんのニュースや特集番組、特集記事等が組まれ、各地では、関連プロジェクトが企画されるなど、日本だけでなく、友好国からのお見舞い等が寄せられています。「弱小」あくせす・ぽいんととしても、3月11日の当日に何かコメント等を残しておきたいとは考えていたのですが、何を言うべきか、そもそも何が言えるのか、言葉が見つからずにズルズルと本日まで来てしまいました。以下の各紙の見出し(今回は夕刊が中心です…)にも見られるように、多くの事柄が「途上」でああって、大きく復興=未来へと実感が持てない状況は変わりないため、重ねて言葉がなくなっていくのです。悲(T^T)。

2014.3.11.Newspapers1
2014.3.11.Newspapers2

 そんな日々を過ごしていたのですが、あるテレビ番組で、家族(小学生男子)を亡くされたお母さんの言葉を偶然耳にしました。

「悲しみと共に生きていくことを決めました。」


困難な状況にありつつも、一歩踏み出したと思える「決めました。」という言葉。そこに、どんな気持ちが隠されているのか、思いを馳せてしまいます。当事者になってしまった方々の心が、「悲嘆・混乱(1年目)→厭世・不安(2年目)→共生(3年目)」というように、単純には変化はしませんし、「悲しみ」自体なかなか癒やされることがありませんから、「悲しみと共に生きていくことを決めました。」という力強い決意が、本当にたくましく思えるのです。「何をしたらよいのか…、何ができるのか…」という自問自答の繰り返しの中にいる「周りの人」にとっては、どのようなことであれ、「決めました。」という、前を向く力を取り戻してくれることこそ、支援のための目標となっている部分もありますから(※今は、支援よりも継続的な繋がりが大切だと言われます…)、どのような事柄が取り戻しのきっかけになるのか…、いつも気にしています。被災状況も人それぞれ、心のあり方も人それぞれですから、算数のように「答え」など見つけられないのかもしれませんが、少なくとも、「決めました。」という一歩を踏み出せるようになった契機は何か、それが明確になれば、支援の方法も、より具体性を持って取り組めるのではないか……、と思う今日この頃です。φ(・・*)ゞ
 手元にある「夕刊」記事に触れられていたインタビューされた人の「生の声」を、参考として、以下にメモしておきたいと思います。東北地方が何を求めているのか、行政ではない領域で、何を求めているのか、そのニーズを知るためには、実際に現地に赴いて「話をする」ことが確実な方法なのでしょうが、遠隔地にいる場合にはなかなかできません。ただ、手がかりとして、「マスメディアの報道内容を「それなりの視点」で眺め続ける」というのも「アリ」なのではと考えてみました…(´-ω-`)。(※なぜ、一部の夕刊だけなの…?という指摘はしないで下さい…(^▽^;)。)

(中日新聞)
「子どもたちも元気にやっています。」
「仮設生活などでばらばらになっているが、久々に集まって3年を迎えられるのはありがたい。」
「放射線量は下がっているのに不当な扱いが許せなかった。」
「(ゲストハウス設立)ボランティアの拠点にしたり、旅人たちに仮設住宅や農家を案内して住民と触れ合う仕組みをつくりたい。」
「手がかりを見逃さず、1人でも多くの方を家族の元に戻したい。」
「そうだ、震災のことを忘れないために撮るんだ。」

(日本経済新聞)
「(名取市に)住民が戻っていないのに、店だけ戻れないという声が多い。」
「見つからない状態で3年たっても、気持ちは震災直後と変わらない。」
「それでも、前へ。」
「双葉の暮らしの物語を残す。」
「仕事を終えたら行きつけの店で仲間と酒を飲んで語らう。そんな双葉の大人たちに憧れていた。」
「考えたってしょうがない。」
「(ふるさとは)かけがえのないものだが帰れない。気持ちは宙に浮いている。」
「心の穴をどう埋めるのか。」
「復興の道のりは長い。仕事の場が同時にくつろぎの居場所になってほしい。」
「(小学校で)命を大切にし、ふるさとをよりよくする力を持つ人になってください。」

(朝日新聞)
「私は生き残った身。何が起きたのかみんなが忘れないように伝えていく。」
「(お座敷列車を)乗りにきてもらうようにすることが記憶の風化を防ぎ、復興につながる。」
「災害の現実を示すものが次第に減り、難しさもある。」
「何もしなければいつか忘れ去られてしまう。被害を繰り返さないため、後世に伝え続けなければならない。」
「震災の記憶の風化が進んでいると感じる。号外では被災地でのこの1年の歩みが書かれている。現状を少しでも知ってほしい。」

(毎日新聞)
「震災直後に探してあげられなかった苦しみは今も続いている。自分たちの手で大切な人を探したい。」
「ねえ、聞こえているかな。ずっと一緒だったあなたが居なくなってさみしいけど、頑張って生きているよ。」
「自分は地元を見ていて知っているが、見ていない人には、わからないかもしれない。発信できる人が発信しないと、伝わらない。」
「人生には悔いはないけど、明日は何が起きるか分かんねいからね。楽しもうよ。」
「家族がここで生きていたことを知ってもらいたい。」(毎日新聞)
「独りだな」
「家族のために自分も何かできることはないのか」

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合わせて、一応、2014年3月11日付の夕刊の見出しを(一部)以下にメモしておきます。(^▽^;)
・中日新聞(夕刊):震災3年 つなぐ祈り:被災地住宅 若者の滞在拠点に
・日本経済新聞(夕刊):商業再生 復興の核に:住民帰還へ街作り
・朝日新聞(夕刊):あの時胸に 歩む
・毎日新聞(夕刊):苦しみ今も…
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改めて、東日本大震災3.11で亡くなられた方にご冥福をお祈りいたします。拝